食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

完全寛解ならず、そして新型コロナ

四月中旬の平日、術後五年まで後ひと月。鴨川沿いの桜並木はすっかり葉桜になって春の風に揺れていた。


新型コロナの影響で病院内は普段の半分以下しか人がおらず、採血の待ち時間も半分以下。胃カメラもほとんど待つこともなく、いつもと同様に終えると、半覚醒状態の私に背を向けて書き込みながら技師が言った。


「小さなポリープが喉の入口にありますね」


薬が切れてベッドから起き上がると、ワイフが言った。


「検体とってないから」


CTの造影剤が血流に入って全身が熱くなるのはいつものことなのだが、今日はなぜか気分が悪い。といってボタンを押すほどではなかった。


ランチは久しぶりにからふね屋珈琲とワイフは決めていたが、行ってみるとコロナで休業。角の神社の前に露店が出ていて、淡路産新玉ねぎがデカい。4個入りワンパックが破格の百円に唆られた。いつもネットで買う青森産ニンニクが1980円。価格は同じだが、こちらは訳ありではない。


ずしりと重くなったバッグを背負って四条大橋を渡ると、外国からの観光客がまったくおらず、いつもの喧騒が消え、普通の街並みのよう。そんな状況なのに川床作りが始まっている。重機がのんびりと動く様をしばし眺めた。

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京極も閑散としていて、多くの店が閉まっているなか、Wendy'sが営業していたので久しぶりにハンバーガーを食した。フレンチフライのディップにチリがあり、すかさず追加。懐かしいアメリカの味がした。


四月最後の月曜の朝、出かける用意をしていると、病院から電話があり、コロナ感染が危惧されるので、検査結果は担当医から電話で伝えるとのこと。胃カメラの技師から精密検査が必要とあるが、あまりに小さ過ぎてどうせわからない、半年後に再検査ということになった。日本では癌が5年再発しなければ完全寛解ということになっているが、結果、持越し。そもそも年に2回京都を訪れるのは罹患以前からの習慣だったので、春と秋というタイミングは偶然ながらありがたい。ということにしておく。


半年後に京都は、日本は、そして世界は、どうなっているだろうか。劇的な変化を強いられた人々の様子が連日報道されているが、我が家においては微々たるもので、冷凍庫を購入したのは以前から考えていたことだから、マスクをしての外出が唯一の新しい習慣ということになる。


元来、私達夫婦は、「3密」嫌いで人々が集う場所には行かないし、潔癖症。私は、エレベーターのボタンを指で触れたことはない。齢を重ねるにつれて、外食もめっきり減った。手前味噌になるが、私の料理の腕前のおかげで、ほとんどのものはお店と同レベルか、それ以上美味しくつくることができる。食の都大阪に住んでいても外出してまで食したい店は、数軒しかない。


五木寛之が新型コロナについてNHKのインタビューに応えていた。


「私はネガティブな思考の人間だから、こんなときは下を向き、地面に映った自分の影を見る。そして、背後の光について考えるのです」


人は生かされている、そう解釈した。


人類は人類のことしか考えず、他種を淘汰し続け、地球という生命体がその横暴に対抗するために新たに送り込んできたのが新型コロナであると、個人的に捉えている。感染しても8割は発症しないことから、潜在的感染者がいなくなることはない。さらに、必ず次々と新たな脅威は来る。大地震も来るだろう。いずれにしても不本意な死に方だけは避けたいものだ。