食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

コロナよりも怖いもの

3回目の緊急事態宣言が発令された2日後、定期検診のために京都へ。さらに2日後にはゴールデンウィークが始まるが、薄曇りの空の下にかつての観光地の喧騒はなく、観光客の姿は見当たらない。

 


いつも百人近い血液検査の順番待ちがなんとたったの10人。そのために一時間近くも広場に座って待つことになり、かつて数ヶ月入院していた部屋を見上げた。6年前、あそこで苦しい経験をしたが、実感がわいてこず、遠い夢のような感じがする。

 


CT スキャンも待ち時間なしで終了し、からふね屋に行ってみたら営業中とある。ワイフはフルーツサンド、私は海藻スパゲティ。なんとヘルシーなことかことかと思いつつ、一緒に喫煙室へ向かうと、以前は中庭を囲む2階の4部屋のひとつ、20人ほど収容可能な部屋が喫煙可能となっていたのだが、改装され、逆サイドの隅にたったふたりが入れる小部屋ができていた。

 


ワイフお気に入りのベーカリーに寄り、京極、錦といつものコースをいくが閑散としている。ワイフの新しいお気に入りの四条通りのマスク屋で彼女が迷うのを助言し、早々に帰途に着いた。ベーカリーのビーフカツサンドにたっぷりサラダを添えてその日の夕食とした。

 

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二週間後、担当医より電話診察。血液もCTも問題なく、半年後の予約を入れる。いつもよりひと月ほど遅くなり、晩秋の京都となる。久しぶりに紅葉を観ることができるかもしれない。

 


コロナ禍のなか、オリンピック開催しか念頭にない政府は迷走を続ける。5月末、緊急事態宣言が再延長され、国民は巣篭もりする我慢を強いられているとメディアは反発するが、個人的にはなんも強いられていない。飲食店が最大の犠牲者らしいが、居酒屋やバーに行く習慣もないし、外食もめったにしないから、そもそも私は彼らのユーザーですらない。

 


「ストレスたまるわあ」とLAに住む日本人の友人が言っていたが、外出しなくても一向にストレスなどたまらないし、逆に人混みにいる方がよっぽど不快になるタチである。

 


政府はワクチン接種を切り札としているが、国民の30%は接種を拒むらしい。私もその部類である。子宮頸癌が社会問題になったように、常に副反応には配慮すべきで、多くの人命が救われる一方、数少ないが失われる命もある二律背反がワクチンの実態。確率が低いから自分がそうならない保証などない。

 


新型コロナに限らず、彼らの本来の目的は人類を滅ぼすことではなく、増殖していくこと。宿主が死ぬことは自身の死と直結するから、毒性が強いウイルスは拡散できない。必然的に弱毒化するしか生き残る方法がない。つまり、ほっておけばいつかはインフルエンザのレベルに落ち着く。

 


だたし、新種はこれからも現れ続けることは間違いなく、備えは大切だ。しかしながら、それよりも個人的に憂懼するのは、長生きすればするほど、震災と遭遇する可能性は高くなることだ。ひと月以上はなんの不便もなく暮らせるよう、備蓄には常に配慮している。

 


ただし、電気が止まれば死活問題だ。冷蔵庫と冷凍庫には真夏でも数日はもつようにスペースを殺して凍ったペットボトルと保冷剤をいれているし、インスタント食品や缶詰、その他の必需品もたんとある。しかしながら、ネットもだめ、Netflexもだめとなると、精神的な負荷の大きさは計りきれない。