食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

患者という立場

定例の3ヶ月検診。午後からの採血とCTだけなので気楽に構えていたが、想像以上だった。

採血はなんと初めて待ち時間なし。CTは四人待機していたが、利用者アンケートを渡され、書き込み終えたところで、「血管に入りにくいとありましたので」と言われて問題のない右腕を差し出すと、保温パックを乗せられた。

初めてのことにワイフと顔を見合わせる。利用者の便宜向上を図る試みは喜ばしいことだ。検査もこれまでで最速で終えた。

いつもの鴨川のベンチで一服して出町柳まで川辺りを歩く。今年は秋の気配が早い。風に揺れるススキが水面から照り返す陽の光に煌めいている。

事前に調べておいた駅チカの洋食屋でランチ。朝食を抜いていたので用心して消化の良さそうなパスタを注文すると、これがうまい。バジルが効いて、これまで京都で食べたパスタでは最上級。ワイフの頼んだグラタンも濃厚でいい味だった。

先日美味だった行列のできる団子屋を目指すことに。あまり並んでいたらスルーするつもりでいたら、定休日。代わりに近くの安くてうまいパン屋でしこたま購入した。

いつもの橋の手前でまた一服。大文字の山の真上に淡い満月が浮かんでいるのを眺めながら。

帰宅後、TVを観ていると、選挙モード一色。ところが、その他のニュースに驚愕。さっき検診に行ったばかりの病院で、調剤ミスによる過剰投薬で患者死亡だと。

CTの造影剤1本でも侮ることなどできない。患者という100%受け身である立場を改めて思い知らされた。

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