食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

寛解まであと半年

10月に入ってもまだ蒸し暑く、台風の影響で曇り空の下、Tシャツで半年ぶりの定期検診に出かけた。


「アルコールかぶれはないですか?」


血液検査に限らず、この病院では注射の前に必ず問われる。ないと答えると次はカルテを見て、「テープかぶれはあるんですね、じゃあこちらのテープを使います」。内視鏡でも、CT検査でも同様。私の左腕の注射ターゲットエリアは動脈と静脈が近接しており、失敗されて内出血することが頻繁にあるので、右腕しか差し出さないことにしている。


内視鏡を終えて半覚醒状態でいると、ワイフが針を刺したままで次に行けないかとナースに訊いていた。院内で議論中であるという返答だった。結局、CT検査でも同じやり取りをしたが、女性の助手が私の右腕の注射痕の周辺が赤くなっていることに気づき、処置後に待機医師を呼び、技師と三人で話し合いを始め、腫れているので何かあれば連絡するように言われて解放された。


元来、私は敏感肌で、風呂に浸かっただけでジンマシンが出たりするので、弱刺激性のテープでもかぶれる時はかぶれる。


本日の予定を終え、夕刻は雨予報ということで、近場のからふね屋で遅いブランチ。パスタを注文し、ワイフの唐揚にもフォークを伸ばしたが、喉が痛くて食べ辛い。


内視鏡では、検査前に小さな紙コップに入った麻酔薬を飲み、直前に喉の奥に直接スプレーというのがルーティン。今回はさらに技師(初めての女性)がさらにスプレーを食道の入口にかけた。それがあまりに強烈で悶絶級だった。「いつものことです」と言うが、貴方はいつもかもしれないが、私にとっては初めて。


夕食時もまだ痺れていて、食べにくい。ところが、翌日になって痺れがとれると、食道の入口が幾分拡がって飲み込みやすくなっていた。技師の裁量は様々だが、彼女は上手だったことがわかった。肌のかぶれは、常備薬のオロナインを塗っておいたら3日後には消えた。


18日後、検査結果と今後について担当医に会いに行く。なにもなければ、来年春は術後5年、寛解となる。


寛解ググると、『全治とまでは言えないが、病状が治まっておだやかであること』とある。国立がん研究センター「がん情報サービス」の用語集では、こうだ。


『一時的あるいは永続的に、がん(腫瘍)が縮小または消失している状態のこと。寛解に至っても、がん細胞が再びふえ始めたり、残っていたがん細胞が別の部位に転移したりする可能性があるため、寛解の状態が続くようにさらに治療を継続することもあります』。


そもそも5年という数字に明確なエヴィデンスがあるわけはなく、あくまでも概算的数値。要するに、再発の恐れは常にあり、慢心禁物ということである。