食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

ネキシウムは重要

八月一八日にCTと血液の検査をし、その結果を主治医から聞きに二九日の月曜日に再び真夏の京都へ。

いずれもワイフは有給休暇をとって一日かがり。いつものことだが、もっと合理的にならないかと想う。検査の結果が出るまでに時間が必要なことはわかる。しかし、実際に、一度だけ、早朝に行き、夕方に結果が出たことがあった。

『患者の利便性を考慮している』というのなら、そう願いたいものだ。

血液、問題なし。CTも問題なし。と、PCの画面をスクロールする、三ヶ月前よりも少し肥えた医者を観ながら、『全国三一万人の医者のなかでCTがちゃんとみれる医者は二割に満たない』と週刊現代の取材を受けた医者が言っていたことを想い出した。

私の主治医はその二割に入っているのかいないのか。知る由もない。

少なくとも前の主治医はちゃんとみれなかった。陽子線の治療で肉眼的には癌が消えた半年後あたりから違和感を憶え、そう訴えても彼は「きれいです。なにも映っていません」の一点張りだった。あのときこそセカンドオピニオンを試みるべきだったと、いま想うが、二割に満たないのならセカンドで見つけてくれるとは限らない。確率を考慮すると五人くらいには診てもらわないと。

そもそもCTにしてもPETにしても「ある程度の大きさにならないとわかりません」とどの医者も言う。最新の医療技術といってもまだその程度。癌細胞に寄っていく虫や匂いを感知する犬のほうがまだ期待がもてそうだ。

いっときテレビ各局がこぞって放送していた癌の特集番組が近頃まったくなくなった。ひと通りやってしまってネタが尽きたのだろう。

変わって、週刊現代が打ち出した『医者を信用するな』、『手術はやめろ』、『その薬は危ない』と警笛を鳴らして以来、雑誌メディアが盛り上がっている。各紙踏み込んだ取材が多く、賛否両論だが、週刊現代に書かれていることの半分は当たっている。

『医者は手術をし、薬を売って儲けている』のは当然のことで、問題は技量のないヘタクソと不要な薬を出している医者が多いことだ。

幸いなことに私の主治医はヘタクソではなかったようで、おかげでまだ生きている。同年代で同様の症状で同様の手術を受けた勘三郎さんは逝ってしまった。縫合不全が発覚したとき、ワイフの質問に対して「再手術というような危険なことはしません」と主治医はきっぱりと応え、幸運にも私の場合はくっついたが、たかじんさんは再手術して亡くなった。患者は医者を選べるといっても限度がある。家族が医者を変えることを勧めても本人が応えようとしない逸見さんのような

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ケースもある。

運としか言いようがない。

薬といえば、検査の数週間前、就寝中に突然息が詰まって目醒め、這って洗面所に向かう途中で呼吸ができない苦しさに進めなくなり、一瞬これで逝くのかと脳裏を横切ったことがあった。幸いにもかすかに空気が肺に入ったところで洗面所にダッシュし、何度もうがいとせきを繰り返しているうちに空気が普通に入ってくるようになったが、その後、一時間ほどは喉が焼けるように熱くて二度寝どころではなかった。

その数週間前からネキシウムの数が次に薬をもらうまでもたないことに気づいて服用をやめていた。こんなことは初めてで、原因はそれしか考えられない。『PPI(ネキシウム)止めてしまうと逆流怖くないですか』と詐欺士さんがコメントをいれていたのはこのことだったと思い知った。

実は、ネキシウムは週間現代が特集していた『医者が自分は飲みたくない薬』のリストに入っていた。ただそれほど重篤な副作用があるわけではなく、イリボーといっしょに服用すればQOLのレベルもそこそこ維持できる。今後はきちんと服用することにする。

京都まで来るとついでにどこかに寄りたくなるのはいつものことで、一八日は途中下車してシネコンで『ターザン』を観て、それほど期待していなかったが楽しめた。ところが、この日は東日本に接近する台風10号のせいで近畿地方は大雨。

朝から何も食していなかったので、とりあえず何か食べることにすると、ワイフから『からふね屋』という単語が。三〇年以上前、京都の友人とよく行った老舗の喫茶店。その支店が病院のすぐ近くにあるという。

なつかしい場所で、彼女はオムライスとホットコーヒーを、私はローストビーフサンドウィッチとダッチアイスコーヒーを食した。