食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

5年半にて寛解

モノトーンの雲が低く立ち込める10月下旬、半年ぶりの京都。秋というよりも初冬に近く、肌寒い。院内に以前の混雑はなく、新型コロナ発生直後の春よりは増えているが、採血は30人ほどで順番がきた。


内視鏡の検査は、数年前に一度効きすぎたことがあって以来、投薬を減らして半覚醒状態で受けている。今日も途中何度か痛みを感じ、終わった直後、声が出た。


「出来物は?」

「ないですよ」


マスクで顔はわからないが、若い女性の技師の目は笑っている。半年前に寛解出来なかった原因は、思っていた通り、消滅していた。次に覚醒したときにはいつもの別室のベッドに横になっていて、気にかけていたワイフにそれを告げた後、また眠りについた。


CT検査はほぼ待ち時間なしで終わり、支払いを済ませて終了。ひさしぶりにからふね屋のパスタでランチのつもりでいたら閉まっていた。


鴨川にかかる橋の下で一服していると、川の真ん中あたりに集っていた鴨の集団から一羽が近寄ってきたが、与えられるものはない。

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自分たちの食を求めていつものように南下。京極の手前のお気に入りのパン屋にワイフが吸い込まれるように入店し、しこたま買った。


結局、錦市場まで下り、馴染みの京都では珍しい大阪の食堂風の店で、ねぎ焼きを食した。ここ数週間体調が優れずにいるうえに内視鏡や造影剤を入れているのでおやつ程度の食事にした。


市場の西の端にある、馴染みの海産物の店でひとくち寿司と牡蠣飯を購入し、初トライの漬物屋、団子屋と、まるで買い出しに来たように買いまくって帰宅した。


2週間後、秋雨が降り続く日。傘とレインシューズで、検査結果と今後の相談のために出かけた。

 

担当医から、卒業か検査継続を尋ねられ、継続を選択。この病院では継続なら半年に一回は来院しなくてはならず、結局、これまでと同じ。違うのは、内視鏡とCTのどちらかひとつを交互にすること。春と秋の京都は死ぬまで続くということだ。


またワイフがお気に入りのパン屋で購入した後、京極ではなく、寺町を下ってみる。かつてデートしていた頃の寺町は閑散としていたが、いまは京極と同等に賑わっている。まっすぐに先日訪れた錦市場奥の海産物のイートインを目指し、店内に座った。狙っていた焼き牡蠣と蛤をしっかりと味わった。


お持ち帰りの夕食を探してしばし彷徨い、焼き鳥のチェーン店にたどり着き、大量購入。帰宅していざ食してみると、なんと大正解。興味本位で買ったチョリソの春巻きは、ワイフが声を上げるほど辛いが、なかなか本格的な味わいだった。


近所に焼き鳥の大手チェーン店があるが、数回行ったきり、何年も行っていない。気が向いたらこちらのお持ち帰りもしてみたくなった。


お持ち帰りが増えたのは、新型コロナのせいではない。術後、食べた後で、ダンピングだけでなく、気分が悪くなることは日常的に起こる。


外出先で辛くなることを数回経験した結果、徒歩で帰宅できないところでしっかりとした食事することはほとんどなくなった。大きな手術をするとは、元の身体には戻れない、元の生活はできないということで、自己判断で生活調整するしかない。


罹患後、相当な時間を費やして情報収集し、改善策を試みたが、絶対的な魔法的対処法などはなく、自己洞察にたどり着いた。私の場合、腹痛、下痢が全くないことが2週間続くことはまずない。まったく心当たりがないまま不調をきたすのだから、対処しようがない。


はっきりわかっているのは、油っこいものはだめ。特に天ぷらと餃子は百発百中の確率なので、覚悟して食す。しかしながら、それ以外の美味なるものは普通に愉しめるのだから、感謝しないわけにはいかないだろう。