食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

雨の出町柳

定例の3ヶ月検診のため、早朝から大雨のなか外出。Tシャツ1枚で出てきたため、病院に着いた時には身体が冷え切っていた。

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採血の後、移動して苦手な内視鏡へ。技師の男性が針先が動脈に当たったということで10分ほども左腕を指で抑えて止血。睡眠剤を入れるが、今日は特に血圧が低く、上が100以下だったせいか、効きが甘く、うとうと、ぼんやりした感じで、モニターを眺める。覚醒した時に技師が動脈を見にやってきて、「喉は細いけれど問題はありません」と、2週間先の担当医からの説明の前に教えてくれた。

次がCTスキャン。左腕に針先を入れようとするので、さっき動脈に当たった旨を告げると、あっさりと右にチェンジ。

いずれもめずらしく待ち時間が短く、過去最速で、昼過ぎに終了。近くのからふね屋で18時間ぶりの食事をとる。最初に来たときには食後気分が悪くなったが、今はそれもない。2年前の6月19日のあたりをiPhoneのカレンダーでみると、術後ひと月が過ぎて懸命に栄養剤を入れようとする日々を送っていたのがわかる。一週間後、許可が出て、院内のローソンで最初に口にするのはこれと決めていたカシスオレンジを味わった。数日後、炎症値0.8という数字が出て、再び苦悶の日々を送ることになることも知らずに。

食したモノが胃菅を通って落ちていくと十二指腸はいきなり触れられた小動物のように収縮し、胆汁や膵液が慌てて放出され、血糖値は急降下し、気分が悪くなるのは毎度のことだ。それでも当時を振り返ると、まるで取るに足らぬことのように想える。

外に出ると、小降りになっていたので、知らない場所を散策してみることにする。途中、ある饅頭屋に長蛇の列。並ぶことをしない私たちは素通りしたが、帰途、同じ場所を通ると、数人に減っている。古都の和菓子で人気があるならさぞかし美味であろうと購入してみた。

いつもの橋の下でタバコ休憩をとる。ふと中洲を見ると、見憶えのある鴨の一家が。数日前、住宅地で孵化した子供達を引き連れて川まで移動する恒例行事が警察まで巻き込んで大騒ぎとなったニュースを観た。ほとんどの子供達はすぐに草陰に隠れてしまったが、あの一家に間違いない。

橋の上を歩くと、向こうに霞がかかった東山界隈が望める。驟雨のなか、出町柳の散策は悪くなかった。数種の饅頭が極上であったことも追記しておく。