食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

悪くない数字

梅雨の間の晴れた日、蒸し暑い初夏の古都へ、先日の検査結果を聞きに出かけた。

血液、内視鏡、CT、すべて良好。
「2年になりましたね」

縫合不全は自力で治癒を待つしかなく、身体は栄養剤を受けつけず、吐くものがないのに一日中容器に顔を突っ込んで嗚咽を繰り返す日々が続いていた。

「縫合不全が治るのに2年かかった人がいましたよ」
「2年!」
あのとき思わず声が出た。

現実には2週間ほどたって栄養剤を変えると吐き気はおさまり、体調は次第に良化し、隙間もほぼ塞がり、結婚記念日の2日前の23日に退院。

あのままずっと2年も入院生活を送っていたとしたら…。想像もしたくない。

ふたつ質問した。

細いという喉はどのくらい細いのか。

普通は直径2センチほどだが、私のは半分の1センチしかなく、普通は食べ始めると3センチほどまで伸びるが、私のは伸びることはない。

食するたびにお腹がギュッと縮むような感じになるのが治ることはないのか。

食事の30分くらい前に軽いものを入れておくことを試してみるとどうか。

次の検査は10月。

鴨川沿いのいつもの場所で一服してると、また鴨の一家に遭遇。物欲しげに近寄って来るが何も持ち合わせていなかった。

ランチをアプリで探すが、特に行ってみたいところもなく、井之頭五郎風に行き当たりバッタリに賭けることにした。

適当に歩いていると、錦に入り込んでしまい、そこでかつて何度か行った大衆食堂があって、なんでもあるのでそこにした。

ランチどきで広い店は満席だったが、ほんの数分で席が空いた。ワイフが頼んだ塩焼きそばも私のねぎ焼きもそこそこ美味かった。ここは京都で知る唯一のリーズナブルな食堂だ。

いつもの漬け物屋で買ったことのないのを2品買い、久しぶりに京極を歩いていると、アメリカの友人が喜びそうなTシャツを見つけて購入。

甘くて冷たいものが欲しくなって、わらび餅を探すが見つからない。祇園のほうならあるだろうと八坂神社まで行くが、あまりの価格設定に呆れてスルーの連続。

結局、自宅の近くで買うことにし、ワイフは抹茶オーレ、私は抹茶アイスを川沿いで食した。

帰宅後、アプリを見ると、15,000歩近く歩いていた。悪くない数字だ。

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