食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

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術後四年検診を終えて(2019/05/23)
 

平成最後の月は、術後四年の定期検診に大腸内視鏡検査が追加されたため、病院に三度も出かけることになった。その度に丸一日潰れてしまうし、ワイフは仕事を休まねばならない。それでも彼女がプレミアムカーを予約してくれたおかげで三度とも快適に行くことができた。


豪華なシートに座って、先月購入した新しいiPhoneをフリーwifiに接続したら、まさにストレスフリー。


一回目は四月の第2週。駅を出ると、鴨川沿いの桜がちょうど満開。昨年末に我が家に電子タバコを導入したが、屋外ではまだ生タバコを味わっている。一服して、新しいiPhoneの新機能ポートレートモードで写真を撮って、今年の花見が終了。


血液、内視鏡、CTとルーティンをこなし、午後2時。出町柳界隈の適当な喫茶店でランチをして、始発の電車に座って、駅前で晩飯用の弁当を買って帰宅。


すっかり慣れたものだが、ワイフの気分が優れない。昨年暮れに扁桃腺を腫らして以来、喉に違和感があることを知らせたため、それをずっと気にしていた。そんな状況で、内視鏡検査をしたとき、細胞をとられて生検に回されたからだ。


私たち夫婦は、価値観など志向面はほぼ完璧なまでに合致するものの、精神面は真逆。悪性なものが見つかったら仕方ない、そのときに対処を考えればいい。そんな私のように悠長に構えることなど、彼女にはできないのである。


二回目は第3週。桜は綺麗に散り落ちていたが、川面の調べを聴きながら葉桜を眺めるのもまた趣がある。

 

大腸内視鏡は、入院中に一度体験していたが、何も憶えておらず、2時間かけて2リットルの溶液を飲んで8回トイレに行くという事前作業をクリア寸前でタイムアップ。全裸になってペラペラの紙製の検査着と下着を身につけ、検査室前のベンチに待つこと30分。寒くて辛かった。


いざ検査が始まると、あまりの苦痛に呻き声が止まらず。技師は「Sがいかない」を連発。腸が普通の人よりも柔らかくてやりにくいと、半分くらいまで来てたのに、細い管に替えて、一からやり直し。それでもうまく進まず、呻いていると、ベテランらしきナースが現れ、それまで腹を抑えていたナースと交代。高齢の女性らしからぬ、ものすごい力でなんとか管を誘導してくれた。


終わったら、精魂尽き果てていた。


午後3時。昨夜の8時から何も食べてなかったので、からふね屋で食事をするが、私は検査疲れ、ワイフは気疲れで、味わう余裕などない。


寄り道せずに帰宅し、週末に食したしゃぶしゃぶの残りスープでおじやを作ると、気疲れにも疲れたのだろう。気分を持ち直したワイフが、「いままで食べたおじやのなかで一番」とおかわりをした。


翌週、半年ぶりに主治医と面会。大腸に小さなポリープがあるが、特に問題なし。喉に軽度の炎症があるが、これも問題なしと告げられると、「ああ良かった」とワイフが嘆息した。


軽度の炎症...そんなものに数ヶ月も違和感を感じていることに我ながら呆れた。


『敏感』であるという体質は4年前の術後、強烈に自覚させられた。腸ろうを受けつけず、一週間もがき苦しみ、弱っていく私をみてキレたワイフに主治医が言った。「普通よりも敏感なんでしょうね」。その後、なんとか自力で持ち直すことができたが、あのままだったらと今想うとぞっとする。


振り返れば、喉の違和感を感じて、これはただ事ではないと自ら癌検診に出かけたのが、事の始まりだが、違和感自体は一年近く前からあった。その時に今の知識があれば、ステージ2まで悪化することはなかった。


だからといって、鈍感であるよりもいいとは言い切れない。むしろ、逆。鈍感であるほうが強い。無痛症という特異体質の主人公が暴れるハリウッド映画があったが、当然、めちゃくちゃ強かった。

 

敏感であることはハンデでもあるのだ。そんなものに数ヶ月も心痛を味わらされたワイフは、いい迷惑だったのに違いない。

 

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