食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

もうすぐ術後三年

定例の検診結果を聞くために真冬の京都へ出かけると、突然ワイフが立ち止まり、同時に声を上げた。

「山中先生!」

目の前のタクシーが駐車場の中へ入っていく。この研究所の前を歩くたびにノーベル賞受賞者の山中教授の話をしたのは度々あったが、まさか実際に遭遇するとは想像だにしなかった。

また見過ごしてしまった。20数年間一緒に歩いてきて、観察力で数段劣る私はたびたび見逃してしまう。これまで多くの有名人を見かけたが、私だけが目視したのはハンマー投げの室伏選手ただひとり。あの巨体とすれ違って気付かずにいた彼女はあのときどうかしていたのだろう。

内視鏡、CT、血液といずれの結果も良好。次回の検査で術後三年が過ぎるので、以後の検査は半年毎になる。

病院を出るとちょうど昼飯時。今にも降り出しそうな曇り空の下、川沿いから橋を渡って市街地に入り、いつもと反対側の道を歩いてみると気になるお店が次々と現れる。しかしながら、今日のランチは決まっていた。

その前に先日の検査後に初めて入ったパン屋がよかったのでリピート。ワイフがお気に入りのチョコデニッシュ、さらに美味しそうな数個をゲットした。

新京極を下って錦市場は相変わらずの人混み。ずっと前から気になっていた目当ての店に、空席ありのサインが出ている。いつも店じまいになっていたのは100食限定だと知った。

階段を上ると先客は二組だけ。錦市場の喧騒が見下ろせる窓際の席に座って注文。

牛肉の握り寿司、軍艦巻き太巻きが三貫ずつ、洒落たプレートの上に乗って運ばれてきた。ワイフが注文した牛肉のお茶漬けも分けてもらう。いずれも美味。私の十二指腸には多すぎたが、京都で久々にヒット。苦しくなるのを覚悟して完食した。

新京極を戻り、ワイフが目指していた鞄屋は休日閉店。先日赤のスリーウェイを購入し、気に入って色違いの黒も求めていたのだ。三ヶ月先まで残っているだろうか。

雨が降り出してきた。アーケードを進む。折り畳み傘は持ってきていたが、橋を小走りで駆け抜けて駅構内へ。帰宅の途に着いた。

その夜、ニュースを見ていると、なんと山中教授が沈痛な面持ちで出ていた。部下が発表した論文に改ざん、捏造があったと。これまでネガティブな状況でメディアに出たことがない人が、「所長辞任の意向は?」という質問に「それも踏まえて対策を考えます」。

あの後、先生は大変な事件に対処していたんだなと知った。iPS細胞の権威者が窮地にいた時、元がん患者はおいしいランチを満喫していた。

いいこと悪い事は万人に訪れる。

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