食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

入院と副作用

たかが二週間の入院と侮っていたことは認めざる得ない。しかしながら、そのほとんどが線で繋がれた状態で、点滴バッグをぶら下げたスタンドを引き摺っての移動は可能なものの、自由度は極度に堕ちる。

最初の抗がん剤治療を終え、通院に切り替えて待っていたのは想像以上の体力の低下だった。自宅から病院まで、待ち時間、放射線治療を入れて、ほんの二時間のことなのに、帰宅すると疲れ果てている。

少し休んで回復したら何か用事をすることに努めるしか、当面の対抗策はない。

抗がん剤投与の副作用についても下調べはしていたが、重い脱力感があった程度で、吐き気もなく、食欲も普通にあった。しかし、その後の腎臓の洗浄が二日続き、大量の排尿をしたことで、尿道に痛みを感じるようになり、帰宅して次の日には激痛がして、尿に血が混じってきた。

医者に言うと、痛み止めの薬を処方されたが、まったく効果がなく、今日、それを告げると、泌尿器科の専門医に会わされて症状を訊かれた。大量の放尿で尿道が傷ついて尿道炎になっていると思っていたら、その医者が言った。

「そんなケースは知らないですね」

所詮、医者とはこんなものだ。自分のテリトリーにないものは、受け入れようとしない。

結局、二段階強い痛み止めの薬を処方され、多少痛みは和らいでいるが、尿に血が混じる状況は同じで、どうみても尿道炎である。

私の父は八十を過ぎて排尿の能力が失せ、膀胱代わりのプラスティックバッグを腰にぶら下げて生活している。彼の遺伝子がある私が他人よりも尿道が弱いことは当然でもある。そもそも食道癌だし、気管支も生まれつき弱く、以前患った前立腺炎にしても、私の身体のなかで管系は人よりも劣性なのは自覚している。

結局、そんなあまり例のない副作用が、私個人には必然的に起こったということである。