食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

経過観察

四月末日に陽子線治療を終え、五月の連休明けに医大で主治医と会った。当初の予定では、再度抗癌剤投与で入院のはずであったので、断るつもり満々でいたら、K医師はそれにはまったく触れず、CTやりましょうかと。

癌そのものが消滅しているので(肉眼的に)、後は検査である。

先日、その日が来た。相変わらず数百人の患者たちがたむろするフロア。血液検査もCTもK医師との面会も待たされるのだが、iPhoneがあるので待つことは以前ほど苦にならない。

K医師の部屋に入ると、血液に異常はないが、CTの写真を診ながら食道壁が多少厚いので来月にでもPETをやりましょうかと言う。本人はいい加減うんざりしていて、隣のワイフに目をやると、「やっとこ」と言う。万が一のための用心、何もなければそれで安心できると。

CTはすぐに終るが、PETは数時間も要するので面倒くさいのだが(完治したと楽観している本人としては)、用心にこしたことはないと、それならと同意した。

癌を取り上げるTV番組がやたら増えている。私は陽子線治療のことはネットで知ったが、たった半年後の今は一般に認知されるほどになっている。さきがけというほどではないが、自分の選択に間違いはなかったと思っている。施設で食道癌の患者を扱ったのは私が14人目ということで、症例というほどのデータはなく、今後どんな後遺症がでるかもわからないのだが、私は楽観している。

癌をはじめとする病気関連の番組はくまなく録画してワイフといっしょに観る。ひと月ほど前、別の粒子線施設が詳しく紹介されていた。

私がいた施設とは多少異なるところもあったが、日本でこの治療が受けられる四カ所と写真がでてきたときは、一時停止にしてワイフと「ここ、ここ」と、まるで故郷を想うような懐かしい気分になった。

退院してまだ三ヶ月もたっていないのに遠い昔のように感じるのが不思議だ。