食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

狭窄感2

経過観察に入って三度目のCTスキャンの日。

陽子線治療を終えて十ヶ月、QOLにほとんど問題なく日常生活を送りつつ、月一の病院通いを続けている。

敷地内に入ると、ちょうど一年前、コロコロ(小型スーツケース)を引き摺って、大雪のなか、抗癌剤投与のために入院しに来たことを想い出し、同じ場所でワイフに写真を撮ってもらった。

検査室で横になると「アルコールでかぶれたりしませんか?」といつもの質問。今度は「ときどきかぶれます」と答えることができ、「じゃあ、違うの使いましょ」とさらさらした感触のものを塗られた。

CTスキャンは何度もやっているが、「もうすぐ身体のなかが暖かなくなりますからね」と言われ、その通りになる感覚にはいつまでも慣れない。血管に投入された造影剤のせいなのだが、なぜか身体は生理的な感覚として受け入れようとする。暖かい飲み物を飲んだときとか、興奮したときとかのように。でも現実はただ横になっているだけで何もしていない。

結果が出て、主治医がパソコンの画面をスクロールしながら、「うん、きれいきれい、肺もきれい」と独り言のように呟いていると、「ん、煙草喫っているね」。見ると、灰のなかに何筋もの煙が漂っている。いつも検査の前にファミマの前で一服するのだが、今日は待ち時間が短かったせいで見事に残っていた。

癌だとわかったときから禁煙、そして減煙を数ヶ月続けたが、結局、喫煙は続けている。食道癌との因果関係はないということで。

調子はどうかと訊くので、狭窄感が相変わらず続いていると答えるが、今日もそれをパソコンに打ち込むだけ。いわゆる晩期後遺症である可能性は高い、と自分で解釈する。ときどき胃もたれがするので、しばらくやめていた胃薬をまた処方してもらった。

この狭窄感がなくなるのは時間がかかりそうだ。もしかしたら一生続くのかもしれない。胸腔内がぐぐっと縮まるような感覚なのだが、姿勢を正して深呼吸すればだいたい治まる。

逆に考えれば、このおかげで自身をケアしなければならないことにしょっちゅう気づかされるという利点もある。うっかり熱いものや辛いものを口にしては絶対にいけないのだと。

帰宅してしばらくすると、また注射の後が痒くてシールを剥がすと赤い斑点がでていた。かぶれるのは消毒液ではなく、シールの粘着剤であることに気づいた。いつまでもたって学習に終わりはない。