食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

晩期障害

主治医が来月から転勤となってその病院も自宅からこの病院と変わらない距離にあるのでそちらで診察を続けてもらうことになり、この病院に来るのは最後の日。

昨年の今頃は毎日放射線を浴びに通っていた。

調子はどうだと訊くので、相変わらずと答える。相変わらず狭窄感がきついという意味だ。CTのたびにデータを送っている粒子線センターからのひと言欄には『晩期障害の可能性』とあったので、そのことについて聴いてみるが、どこも悪くないのに手の出しようがないと言う。

副作用には、早期、中期、晩期とあり、早期と中期が軽かったのが、ここで来たというわけだろう。

自分なりに調べてみると、正常細胞でも細胞分裂が頻繁なところは放射線の影響がでやすいらしい。そのリストのなかに思い当たるのが、『粘膜』。
  
胸腔のなかにどれくらいの粘膜のあるのだろうか。横隔膜は粘膜かどうか。胃は間違いなく粘膜だから、しょっちゅう違和感があるのも頷ける。

これからずっとこのままという状態もありえることも覚悟しないといけないわけだ。まあ、命と引き換えと考えれば、全然大したことではない。

たかが狭窄感である。