再発、摘出出術へ
『たかが狭窄感である』
毎月一回、医者が言うように、CTスキャン、PET、血液検査を代わるがわる繰り返していればいいと捉えていた。
はっきり何の役にも立たなかった。
陽子線で癌が消えたと思っている人には言いたい。
毎月内視鏡検査を続けること。
私に残されたオプションはふたつ。手術か抗ガン剤投与しつつ模索するか。
独身だったら後者を選択しただろう(理由は以前書いた)が、家族(私の場合は愛妻)にかかる負担が大き過ぎる。
小さな病院に転勤となった主治医は「ここで手術は勧めない」と小声で言ってくれたが、妻の進言で、彼が元いた病院でもなく、西日本最大級の大学病院を選択。
この病院に入院したのが亡き母の誕生日。明日朝8時から10時間に及ぶ手術当日は、私の58の誕生日からちょうど二か月。
成功率70%という確率に身を委ねることになった。
そう書いてあっという間に二ヶ月がたった。
その翌月の内視鏡検査で再発がわかった。すでにレベル2のサイズ。
胸部の不快感は昨年暮れからあったが、主治医はどこもおかしくないと言い、本人は晩期障害と思い込んでいたのでショックだった。
その翌月の内視鏡検査で再発がわかった。すでにレベル2のサイズ。
胸部の不快感は昨年暮れからあったが、主治医はどこもおかしくないと言い、本人は晩期障害と思い込んでいたのでショックだった。
悔やむことは多々ある。
陽子線治療が終わったとき、「目視的になくなっているが細胞レベルではわからない」。確かにそう言われた。再発を危惧していたかと問われれば、慢心していたというしかない。
毎月一回、医者が言うように、CTスキャン、PET、血液検査を代わるがわる繰り返していればいいと捉えていた。
はっきり何の役にも立たなかった。
陽子線で癌が消えたと思っている人には言いたい。
毎月内視鏡検査を続けること。
私に残されたオプションはふたつ。手術か抗ガン剤投与しつつ模索するか。
独身だったら後者を選択しただろう(理由は以前書いた)が、家族(私の場合は愛妻)にかかる負担が大き過ぎる。
小さな病院に転勤となった主治医は「ここで手術は勧めない」と小声で言ってくれたが、妻の進言で、彼が元いた病院でもなく、西日本最大級の大学病院を選択。
この病院に入院したのが亡き母の誕生日。明日朝8時から10時間に及ぶ手術当日は、私の58の誕生日からちょうど二か月。
成功率70%という確率に身を委ねることになった。