食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

縫合後の食事

8月26日、胃カメラ検査をし、医師からショックなことを二点告げられた。

ひとつは、普通の人よりも食道が細いこと。内視鏡を使って広げる施術をすることを勧められた。

もうひとつは、胃カメラで撮った写真。確かに以前よりはきれいになっているのだが、一点、食道の真ん中にリング状、他に奇妙な形状をした金具が数点映っていたことだ。

「これは一生あるんですか?」

医師がうなづき、私は自分の勉強不足を悔いた。接合のためにそんな金具が使用されることなどまったく知らなかった。食べたものがそこで詰まることは当然のことで、それは死ぬまでそこにある。焼却された私の身体の喉にそれらの金属が焼け残っている絵が脳裏に浮かんだ。

「普通の食事を始めてみますか?」

これが唯一今日医者から聞いたいい言葉だった。

数ヶ月間口にできなかったものを味わうことができるのは格別だ。が、同時にしょっちゅう詰まるたびにゴミ箱に吐き出しに行かなければならない。それでも他の人たちのブログをみると、私の場合、かなり普通に食べることができているようだ。

次回、今回の内視鏡で念のためにとった細胞の診断結果を聞きに行くのだが、より普通に近づけるためには、食道を広げる施術を依頼したほうがよさそうだ。