食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

腸ろうがとれる

2月22日。

三ヶ月ぶりの京都は真冬とは思えない穏やかな風情。月曜の朝だというのに病院のなかもいつになく穏やかで人も少ない。血を抜くのも50人くらいですぐに順番が回って来た。その後のCTもすぐに済んだ。

担当医とは午後イチということで病院内のドトールで初めて軽食を購入し、それを持って出てまっすぐに鴨川に戻る。いつものベンチに腰を下ろして、川辺のサギや鴨、空を舞うトンビやカラス、地面をうろつくハトやスズメなどの野鳥を眺めながらブランチを食す。食後の煙草がうまい。

「煙草、喫ってますね」
開口一番、担当医が苦笑いする。
「やめたほうがいいんだけどな」
と書類に書き込みながら呟く。
「お酒のほうは?」
「それはもうきっぱり」

予約は3月に入ってからCTの検査報告とともに入れていたのだが、腸ろうの痛みひどくて、もう使っていないから抜いてくれとこの日に頼んでいたのだ。

「CTの結果も出てます。問題ないですね」
と担当医がスクロールしながら言う。
「血液も平常値です」
横でワイフが安堵の表情をみせる。
「体重は?」
「52.5です」
「変わってないですね。じゃあ、抜きますか。横になってください」

シャツと腹巻きをめくりあげると、担当医が患部を観て言った。
「たいしたことないですね。じゃあ、とりますよ」

それはあっけなく抜けた。先端にフックみたいなものがついていて苦痛があると想像していたのだが、なにもない。
「ちょっと堅くなってるけど、たいしたことないです」
と言いながら患部を軽く押すと、激痛が走って呻き声が出た。
「後は自然に塞がりますからお風呂に入ってもだいじょうぶです」

ほぼ十ヶ月身体に繋がっていた異物がなくなった安堵で全身が弛緩するのを感じた。

処方箋を持って病院前の薬局に行くと、いままで以上に待たされた。「ここはもうやめる」とワイフ。また鴨川で煙草を喫いながら、ひさしぶりに映画館に行く予定だったのだが、ふたりとも寝不足で眠るかもしれないので来週に行くことにした。代わりに最初に入院した病院がある駅近の絶品のたこ焼き屋を想い出し、小腹を満たすことに。

ところが途中下車してひさしぶりに行ってみると、店が変わっていた。朴訥そうなおじさんふたりがいなくなり、髪を染めた若者ふたりがやっている。せっかく来たので一応注文したが、あの美味はそこにはなかった。

腸ろうがとれたことで満足すべきという一日だっだ。