食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

人にまつわる数字

五月十四日は亡き母の誕生日であり、特別な日であると同時に特別な連数字でもある。

今年は土曜日だったのでワイフと一万歩散策を兼ねて遠くのスーパーへ出かけ、遺影に供えるためにマスクメロンを購入した。熊本産と高知産と同じ値段で陳列してあったが、迷うことなく熊本産を手にした。熊本で大地震があったことを母が知るすべはないが、そんな些細なことでも母の供養になると想えた。

『一日八千歩』というのが健康維持のために理想的な数字だそうだが、現実にできているのは『週一』で、一日ベースでは三千歩がいいところだ。歩数をかせぐために帰途、遠回りをして国道沿いにあったラーメン屋に入った。外食は賭けのようなものでダンピングに見舞われようものなら苦痛に堪えながら帰宅しなくてはならない。

ラーメンという食べ物は最初のひと口でうまいと感じたら、ほぼ例外なく終わりのほうになると味がしつこくなる。ここのラーメンもひと口目は良かったが、三分の一ほど食したところで、家なら湯を足していた。それでも気分が悪くなることはなく、一万歩弱で無事帰宅できた。

五月十四日が特別な連数字というのは、物心ついた頃から今日まで競馬に親しんでいる私が元気な頃の母を競馬場に連れて行って以来、『五番十四番』という穴馬券に何度も、おそらく数十回は遭遇したことからきている。馬連時代のことだ。ちなみに馬券収支がプラスで亡くなった人は知る限り母ひとりである。

昨年の五月『十四日』は、成功率70%と言われた食道全摘出手術のために入院した日でもある。

『十九』という数字もこれまで幾多と遭遇した特別な数字である。昨年の五月十九日は手術当日であり、「誕生日プラス二ヶ月で逝くというのもかなりの確率だな」と想ったことを憶えている。

今年の五月『十九日』は、術後一年検診の日だった。CT、血液採取、内視鏡と慣れたルーティーンをこなしながら、ずいぶん遠ざかっていたような気分がした。

食事以外の日常生活に問題は皆無だが、QOLが良好だとは言えない。ダンピングは個人差が大きく、私の場合、冷や汗が出て気分が悪くなることで、脂っこいものや食べ過ぎたときは覿面だ。時の経過とともに軽減されるということを信じていくしかない。

データによれば、『食道癌の十年生存率は30%』と手術の成功率から逆転してハードルがあがる。現在、それに対するために気をつけているのは、体温と免疫である。

長身やせ形という体型ながら大汗かきという、ある種異常体質で生まれてきた私は幼少期から真夏にスポーツなどをすると汗が吹き出して身体がキンキンに冷える。要するに熱を体内に保有することができないのである。これが癌細胞の活性化に繋がることは罹病したから知った。いまはショウガとハチミツを日常的に取り入れ、腹巻きは欠かさない。免疫については昨今一般に周知されている。ヨーグルトや納豆。大事である。サプリメントは特に取り入れていない。

検査のために前日午後八時に夕食を終え、腸に何も入っていないことをわかっていて小さなホットドックをいつもの鴨川脇のベンチで食したら、それでも駄目だった。気分が悪くなり、散策を断念して三条大橋まで戻った。ところが、少し休むと気分改善。そこから先斗町を抜けて四条、錦市場、京極界隈を歩き回り、帰宅してiPhoneをみると、一万八千歩。楽勝だった。