食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

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地球と個人的生命(2019/01/28)

 

2019年という新年を迎えて、はやひと月が経とうとしている。


250万年前、ホモ・サピエンスが地球上に誕生し、ネアンデルタール人などの他種を排斥し、20万年前、今の人類に進化し、10万年かかって10億人に増えた。1900年に16億、その50年後の1950年には25億となり、さらに50年後の2000年には60億、現在は76億人。


この爆発的な人口増加を異常と感じない方がおかしい。有史以来、人類は常に殺し合い、戦争がなかった事は無い。また、災害や疫病で多くの人が亡くなった。


それにも関わらず、この爆発的増加が止まらないどころか、加速度を増しているのは、人類が生命を養う資源を得るために自然を破壊し続けていることに起因する。森林を伐採し、海や河川を埋め立て、過去わずか40年で地球上の生物種のほぼ半数は絶滅したといわれている。


地球という生命体から見れば人類はまさしく癌のようなものだ。


太陽系はいつか消滅し、当然地球もその道連れとなるが、それまでに地球上のあらゆる生命体が死滅しても全く不思議ではなく、それはSF映画の話ではない。


一方、現在の日本社会では人口減少が問題視されている。国力は弱化するだろうが、地球にしてみれば、多少なりとも負荷が減ることになる。


日本人にとって、人口減少よりももっと深刻なのは高齢化。あと数ヶ月もすれば、平成が終わるが、平成元年に100歳以上の人はたった3000人しかいなかったのに、現在、平成30年、なんと7万人もいる。


長寿大国と自負し、メディアでは元気な老人たちが紹介され、もてはやされているが、一方で多くの高齢者たちが老醜を晒し、病院のベッドの上で管に繋がれて生きている。


そういう私も食道を全摘し、管をつないで生き延びたひとりである。以後、健康第一主義の日々を送っているが、術後劇的に落ちた基礎体力の回復は遅々として進まない。


17kgの体重を失い、お気に入りのブランドの服はすべて着れなくなった。


昨年暮れにLAからの旧友と再会。翌日腹部表面に違和感を訴えると、ワイフがiPhoneのライトで帯状疱疹ではないかと診断。年末ギリギリに空いているクリニックを探し、間違いないことがわかり、服薬にこぎつけて重篤にいたらずに済んだ。


さらに喉にも違和感があった。正月が明けて大きくなっていくのがわかって、喉頭癌かもとワイフに告白すると、またもiPhoneで診断。扁桃腺炎だと。さらに意味不明な下痢が二週間ほど続いた。


原因は明白。年末夜の人混みに出たのも、はしゃいで喋り過ぎたことも久しくなかったことだ。基礎体力がないので一気に免疫力が低下したのだ。


食道全摘を選択した人の中で私のQOLの低下は軽度のほうだが、元の身体には戻れない。手術する人はその覚悟をして欲しい。


いずれも二週間ほどでほぼ完治したことは、日常のケアの成果に尽きる。ダンピングは予測不可能な状況でやってくるが、リミットを越えないように心掛けていれば、まだ健康でいることは可能。


地球からみれば無に等しい命だが、無為にはしたくない。

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