食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

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術後三年半検診とネキシウム(2018/11/01)

 

定期的に更新されているブログがピタッと動かなくなると、「ああ、この方も亡くなったか」と想ったりするが、ただ平穏に日常を過ごしておられるのだろう。急逝でない限り、死が近いとわかっていたら、書き残しておきたい事は自然に溢れ出てくるように想えるからだ。

 

私の場合も、ブログを引っ越して鬱陶しい広告がなくなって、気分一新、月イチは更新するつもりでいたが、ネタがないので過去を振り返ってみたものの、それで書く意欲が掻き立てられる訳でもなく、かと言って、食道癌に関係のない日記を綴る気にはならない。

 

そもそもライターという職業柄、仕事を終えて、さらに書くという行為をこなすには、湧き上がってくる相当の動機を要する。

 

今後、老化が進んでいくなか、最も怖れているのが、誤嚥認知症。そのいずれにも効果があるとわかって再開したギターの弾き語りを生活に付加したためにブログは余計に遠のいていた。

 

若かりし頃、音楽を志して渡米して挫折したものの、40代までは日常的に続けていたが、下手くそになっていくのに嫌気がさして、クローゼットのなかにしまったままにしていた。しかし、健康のためとなれば話が変わってくる。無理をしてでもやる価値がある。

 

秋晴れの京都へ、10月初頭に受けた検診の結果を伺いに担当医を訪ねた。最初に必ず体重を訊かれる。

「2キロ増えました」

 

バナナ一本でさえ食するたびに気分が悪くなるのを押して、術後17キロ落ちた体重を少しでも取り戻そうと努めてきたが、数年経っても一向に増えないので体重に配慮すること自体を忘れていたところ、数ヶ月前、ふと気が向いて測ってみたら51キロから53キロになっていた。身長は178あるので痩身である事に変わりはないが、喜ばしいことに違いない。

 

先日の検診結果でも、血液、内視鏡、CTいずれも問題なし。次回、来年春の検診について相談が始まると、担当医が言った。

「大腸の内視鏡もしましょうか」

術後一度だけ受けたことがある。口腔ほどではないにしろ、これもまた相当の苦痛を伴う。寛解に近づいていることから他の部位に注意を払うのが賢明というのが、担当医の見解。気は進まないが、従うことにした。

 

処方箋のところで、指示を仰いだ。実は、ネキシウムを丸二ヶ月飲んでいないのだ。あらゆる薬は可能な限り避けたい。私の意思を汲んで、担当医は通常の半分の量のカプセルを処方してくれていた。数年前、それさえ飲まないでいたら睡眠中に逆流して窒息しかけた事は以前書いた。

 

ネキシウムと共に欠かせないのは眠剤。これはひと月以上の処方箋は出ない。そこで処方箋を貰うためだけに近所の総合病院へ通っていたが、検診が半年になってネキシウムも足らなくなり、処方箋を依頼したら、これは出せないと言う。

 

これまで医者と顔を合わせていたが、なんと受付で言われた。理由を問うても受付嬢は答えられず。この病院、10年ほど前に出来た比較的新しいものだが、行くたびに待合室が閑散としてくる。

 

それが8月初頭のことで、ネキシウムとはご無沙汰していたが、特に逆流がひどくなるということはなく、できれば、このまま飲まずに過ごせるならそれに越したことはない。

 

すると、担当医は、逆流の予防という意味で必要だと言い、一回を2錠として処方箋を書いて1錠飲めば半年もつという代案を出してきた。

 

遅めのランチをネットで見つけた病院近くの洋食屋でとったが、ただ量が多いだけで美味しくない。十二指腸が悲鳴をあげる以前に食欲がなくなった。オムライスが好物のはずのワイフも同様にフォークを置いた。それでも常に店内は満員で外で待っている客がいる。こんな店が何十年も評判を得ていることが理解できない。やはり京都で納得できる飲食店にはなかなかお目にかかれない。

 

帰途、鴨川沿いに素敵な散歩道を発見。やっぱり京都は情緒の街だなと改めて想う。