食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

Blogspot掲載2

癌発覚のとき(2018/05/23)

 

2014年2月10日。

 

私のブログがスタートした。

 

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2012年11月、母が亡くなった直後、とてもひどい風邪をひいた。寒いし、ストレスあるし、喉の調子も悪い。咀嚼時に違和感があり、首を伸ばし、飲み物をゆっくりと呑み下しながら食道を洗うような癖がついた。

「おかしな呑み方してる」

ワイフに指摘されて人前では注意しなければと思った。

 

翌月の年の暮れ、今度はワイフの父が亡くなった。葬儀を終えた直後、また風邪をこじらせて寝込んだ。ほぼ二週間、まったく食欲がなくなり、五キロ痩せた。近所のかかりつけの医者に通ったが、何度も血液検査をした結果、アル中かもしれないと言われた。

 

睡眠障害が始まったときはまだ中学生だった。深夜にラジオを聴きながら勉強をする、または勉強するふりをするというのは、世代のライフスタイルでもあり、高校生になっても同じような生活を続けていたのは私だけはなかった。

 

高校卒業後、アメリカに留学し、パーティなどで酒類を口にすることはあったが、ひとりで呑むことはなく、飲酒が習慣となったのは、東京で会社勤めをしていた頃。不眠に悩んでいた私は、留学先で知り合った友人が残していったボトルを口にした翌朝、眠る方法をみつけた。

 

20代後半だったので、ほぼ30年間、寝酒は習慣となっていた。近所の医者は、特に処方してくれる訳でもなく、しばらくすると自然に食欲が戻り、咀嚼時の違和感には慣れてきていた。

 

春が過ぎ、夏が過ぎて、母の一周忌を終えた頃、また風邪をひいた。今度は食欲が失せるようなものではなかったが、食道に何かできている違和感をはっきりと感じた。

 

10年ほど前に急性前立腺炎を患ったときに通った、ひと駅向こうの総合病院へ行った。健診に数千円を足して生まれて初めてバリウムを呑むと、精密検査をしましょうと言うので、内視鏡検査をした。別の医者が出てきて、癌の可能性があるが、うちでは対処できないと、大学病院を紹介された。

 

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このときのことは、さすがによく憶えている。

 

快晴の昼下がり。特急電車が走る高架下の側道を渡り、コンビニ脇に設置された灰皿の側で煙草を喫いながらワイフに電話した。仕事中の彼女に電話したのはこのときが初めて。結果が分かったら連絡するように出勤前に言われていたのだ。

 

「お腹が空いたからうどんを食べに行く」

 

検査結果を伝えた後、私はそう言った。特別な感慨など一切なかった。受け入れるしかない事実に対して慌てふためいても仕方ない。

 

手が震えて仕事ができなかったからと、彼女は早退してきた。そして、癌を宣告されていながら、何もなかったかのごとく、うどんを食べに行った私の行動に呆れ返り、ふたりで笑い合った。