敏感であること
幼少の頃、テレビの競馬中継を観て、サラブレッドの美しさ、逞しさ、そして儚さに魅了され、アメリカ留学時代に初めて馬券を購入してビギナーラックで儲け、東京で会社勤めをしているときに同僚に誘われて初めてJRAの馬券を購入し、またまたビギナーラックで的中して完璧にハマって、八十年代後半から二十数年間競馬雑誌にエッセイを連載したり、単行本まで出版し、翻訳、写真撮影に次ぐ仕事になっていたが、いまではただの競馬ファンのひとりでしかない。
それでも東京時代からのGIレースの馬柱はすべて残してあるし、過去三年の土日のメインレースは整理して明日の予想に役立てている。ところが、昨年のものが五月あたりから欠落していて、iPhoneのカレンダーをみると、術後の体調不良で競馬どころでなかったことが記録されている。
栄養剤注入を身体が受けつけず、悶絶の日々を送っていたのだ。毎日ぞろぞろとやって来る担当医をはじめとする医者たちも為す術がなく、いったいどうしてこんな状態になっているのかとワイフが問うたときのことを想い出す。
「敏感なんでしょうね」
多くの患者は同様の状態で栄養剤を受け入れられるのに私の身体は敏感であるがためにそれを拒絶していた。
栄養剤を投与するたびに猛烈な吐き気、腹痛に見舞われるので嫌がる私にナースが言った。
「このままだと死にますよ」
苦しくてもとにかく投与しないわけにはいかない。脱水状態になっているので水分だけを三日ほど続け、投与のスピードをあげてみたところ、ようやく身体が受け入れ始めた。いま思うと、あれが限界に近いあたりだったのだろう。身体がやっと諦めてくれたのだ。
敏感であることはときにマイナスの要因となることを経験した。
食道癌に罹患していることがわかったのは食道に何かできていると自覚して病院に行ったからなのだが、多くの人はそれに気づかず、検診、あるいは重篤になって初めて発見されるらしい。
実は、その一年近く前から違和感はあった。おそらくそのときはかなり小さかったのだろう。ドリンクを飲むときに食道を洗うようになったのはその頃だ。そのときに病院に行っておれば、初期の処置もとれたのだが、残念ながら当時は知識がなかった。
生き延びていられるのは敏感であったからこそ、といま想う。