食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

医者の選択

2014年2月14 日金曜日午前10時半。

St. Valentine's Dayに最初の入院というのは憶えやすいと想っていたら、日本列島は寒波に襲われ、大阪も近年にない積雪に見舞われた。

病室に生活用具をセットし終えると、放射線医で森本レオ似の担当医が現れ、最初の抗がん剤投与は日曜夕方だと告げた。

午後2時、抗がん剤投与用カテーテル挿入の簡単な手術。心臓に薬物を直接投与するものということで不安だったが、幸田シャーミン似の専門医はシャキシャキと説明し、彼女の予定からこぼれていた私をぶっこんだ。

10階の病室に戻ってそこに用意されたペラペラの手術着に着替え、そのままの格好で一階の手術室に移動。そんな格好でいることも不自然だが、なにより寒い。

しかしながら、印象通り、シャーミンはテキパキと通常よりも短く、30分ほどで仕事を終え、鎖骨でなく上腕を選択した理由など、私の質問にも的確に答えてくれた。

多くの患者にとって医者は現れたなかから選ぶしかない。その意味でセカンドオピニオンは大事。

この病院で最初に会った医者は言った。食道癌の二期ですね、若いですから全摘してすっきりしましょう。しかし、転移がみられたら話は変わると。転移があるのにそこだけとっても意味がない。ほとんどの検査はしていたが、転移をみるためにPET検査をしたことで、時間的な余裕をもつことができた。

手術はやめます。そう言うと、彼の落胆ぶりはあからさまだった。はい、おかえりはこちらと、目も合わさない。客に逃げられた店員と同じである。

そもそも医者とはそう言うものだと捉えている。手術をして儲けたいのは当然で、それを責めることはできない。

手術を受け入れなかった理由はいくつかある。

まず、いま健康体であること。8時間もおよぶ全摘手術という負荷をかける必要性がない。

手術を受けた内、百人中数人は亡くなる。ひと月後にはさらに数人と、現実に患者は亡くなる。縫合手術がうまくいかないとか、合併症とか、うまくいく保証などない。

数回しか会っただけの赤の他人に命を委ねる気には到底なれなかったのだ。