食道癌と自然体で向き合う [Living Naturally with Esophageal Cancer]

人生は不公平極まりないが、すべての命は例外なく尽きる。そんな当たり前のことでさえ、我がこととは無縁と生きてきた。生を受けてからすでに半世紀を超え、着実に死に向かっていることに意識を向けることもないまま、告げられた宣告。ここに綴った文章がどこかの誰かに役立てば幸いです。

患者の心得

強烈な抗がん剤の投与が終った翌日。特に変わったことはないが、一番しんどいのが今日だと言う。

 
癌患者になってみて最初に気づいたことは、私はそれほど私が嫌いではなかったことだ。生き急ぐような青春を過ごし、やりたいことだけやって、30半ばで夭折するというような人生プランだった。しかし、気がつけば56歳にもなり、何も為し得ていない。
 
結婚する予定もなかったが、10歳も若いワイフと生活するようになった。子供は同意の上でつくらないのは予定通り。
 
絶対に自分のDNAは後世に残さない。
 
これが人生のプライオリティである。私のDNAイコール父のDNA。父との確執はこんなところで書ききれないが、これまで生きて来てあれほどの変人に会ったことはない。
 
端的に言えば、自分しか関心がない。妻であれ、息子であれ、愛人であれ、友人であれ自分以外はどうでもいい。いま年老いた彼に残っているのは息子の私だけだが、孤独死を待つばかり。自業自得である。彼のDNAを残すことは、神への冒涜だとさえ私は頑に信じている。
 
高校卒業してLAで多くの素晴らしい人たちと出会わなければ、今の私はいない。息子の成長に関心はないが束縛は無制限。息が詰まるような日々を送っていた私は、LAで他人に優しくすることの正当性を学び、自分に対しても寛容になった。
 
「食道癌ですね、お酒はやめましょう」。そう言われてもやめない人は、自制心がないか、自分が許せないほど嫌いなのだ 。私は簡単にやめた、命が惜しいから。つまり、自分で思っていたほど自分が嫌いではなかったようだ。